2016年04月28日

言霊の華 第三七六号


『最後に問われるものそれは「品性」』

自分の品性の低さを棚に上げて申し述べるのはとても恐縮の極まりですが、不祥事を起こす企業のリーダー、政治家、団体の責任者に共通して言えることは、皆、品性が低いと言うことです。

三菱自動車の燃費データ不正問題で、経営陣が記者会見をしている姿をテレビ等で見ていても、強くそう思えてしまうのです。

経営者やトップリーダーの品性が低ければ、必ず社員や商品の品性も疑わしくなるものです。その結果が不祥事に繋がります。


何故品性の低いリーダーがトップに上(のぼ)るのか。それは企業なり、団体なり、組織なりがそのような体質だからです。

清く美しくない体質が、そのような人物をトップリーダーへと押し上げてしまうのです。そしていずれ問題(不祥事、人事トラブル等)を引き起こします。


イエローハットの創業者であり、日本を美しくする会の鍵山秀三郎先生は、社員が卑屈になり、心が荒(すさ)むような取引は絶対にするまいと、年間二十億円もの売り上げを達成していた、ある大型スーパー二社との取引をやめました。

倒産の危機を承知の上でのことです。それによって大変な苦労をすることになります。

しかしそれでもあえて決断したのは、会社の体質を守るためでした。
即ち品性を守るためです。目先の欲を考えれば、決して取引を中止したりはしないでしょう。

鍵山先生の品性はとても高いものがあります。三年程前対談した時、まるで聖者、高僧と対峠しているかのようでした。


お百姓から身を起こし、多くの藩、村を再興した二宮尊徳翁は、大名と対等の待遇を与えられ、江戸城登城を許されました。

その時、並居(なみい)る大名たちは二宮尊徳翁の立ち居振る舞い、オーラに感動し「どこの高貴な家柄の方だろう」と思ったと言います。

その品性の高さに圧倒されたのです。それは鍬(くわ)と鋤(すき)と鎌(かま)で作り上げたものでした。天地自然との一体と、感謝がそうさせたのです。


経済、経営学者で名高いピーター・ドラッカーは「経営者にとって最も必要なことは、経営能力でもなければ実力でもない。それは品性である」と言い残しております。

品性は一朝一夕で身に付くものではありません。長い間の習性、習慣、足元、身近なことを一つ一つコツコツと積み上げた結果、自ずと生まれてくるものなのです。

合掌 かむながらありがとうございます

菅家 一比古


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【行事案内】
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★龍神の滝 禊研修★

日時:6月2日(木)

場所:龍神の滝(東京都檜原村数馬)

集合:久我山菅家宅 午前9時
JR武蔵五日市駅 10時30分
現地11時30分

準備物:タオル、サンダル、かんむり、ふんどし等
(お持ちでない方には販売しております)

研修費:3,000円(交通費別)

道彦:菅家 一比古 美し国代表

お問合せ:美し国事務局
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2016年04月20日

言霊の華 第三七五号


『「社会正義」の欺瞞』  

前号で私は、社会通念全てが偽善だと言っている訳ではありません。そこには常識も良識もきっと含まれていることでしょう。

私が言いたいのは、社会通念がマスメディアが作った「社会正義」に摺り替えられる危険性があることです。第一次安倍政権の頃、朝日新聞が徹底した安倍批判、安倍攻撃を行っていました。

あまりにも目に余るので、評論家の三宅久之氏が、当時論説委員長の若宮氏に「安倍にだっていい所があるのに何故だ」と問い質(ただ)したところ、若宮氏は安倍を倒すのは朝日の「社是」だと答えたと言います。彼によると、それが社会正義だと言うのです。


この場合、朝日新聞が決めた社会正義なのです。イスラム過激派ISもそう。韓国の従軍慰安婦問題に於ける攻撃も、プロパガンダによる国際活動、策動も正義のため。

北朝鮮の核ミサイルも中国の膨張、覇権主義も、アメリカの広島・長崎の原爆投下も正義のため。「正義」を振りかざしたら、ろくな事はないのです。マスコミや政党がつくった社会正義などに惑わされてはなりません。


日本は社会正義などではなく、「道義性」を重んじて動いて来た国家でした。礼儀と惻隠の情を中心に生きて来た国民です。欧米列強の過酷で非道なアジア植民地支配に対しても、その痛みに対して道義的に立ち上がったのです。

確かにそれは当時、正義の戦いでもあったでしょう。しかし日本の場合、戦いの時だけでした。戦争が終了した後、決して正義を振りかざしたりはしません。いかにアメリカや諸外国と仲良くやっていくかにスタンスが変わるのです。

日本に善悪闘争はありません。だから社会正義面(づら)したマスコミやコメンテーター、他人のスキャンダルを執拗に攻撃する政治家たちが皆幼く、滑稽(こっけい)に見えて仕方がないのです。


先週の言霊の華で話したバドミントンの選手たちは、「社会正義」の犠牲者です。未来ある青年たちが「社会正義」のため断罪され、これだけ名前と顔が露出してしまい、これからの長い人生をどう生きたらいいのか。

日本には伝統的に「謹慎処分」というものがありました。厳しい指導者の元、三ヵ月間、または半年間謹慎させ、坐禅を組ませたり、断食したり、禊をさせたりしたらいいのです。社会正義とは本当に困ったものであり、恐ろしいものなのです。

合掌 かむながらありがとうございます

菅家 一比古


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2016年04月14日

言霊の華 第三七四号



『「社会通念」を疑え』 

いま巷では、違法ギャンブルでバドミントンの若き選手が追放、無期限出場停止処分の憂き目に遭って、マスコミ・テレビメディアの話題になっております。

それ以前は、巨人を始めとする野球界の賭博問題が話題となりました。
こちらの場合は違法というよりプロ選手としての倫理が問われたものでした。この場合も逮捕、起訴ではなく追放処分です。

確かに違法はいけないことです。しかし倫理上、道徳上と言った場合、誰がその基準を決定するのか。それは「社会通念だ」と言う訳です。では社会の通念とは何か?段々怪しくなって行きます。


先日の日曜日、朝のテレビ番組で、民進党の江田副代表が「国民が安倍政治をノーと言っている」と発言しているのを聞いて、「おいおい待てよ。国民の半分近くがイエスと言っているのに、一括(くく)りにして“国民が”と言うのはあまりにも無謀で無茶な話だろう」と思ったものです。
「国民が、世論が」を強調する人々は要注意。魂胆が隠されているのです。

「社会通念」もそうです。この曖昧でいい加減な言葉で善悪を決められたら、たまったものではない。ギャンブル行為にしても、善悪の基準などハッキリしていないのです。

麻雀好きの人は雀荘で必ずお金を賭けます。ゴルフ好きの人も全部とは言いませんがお金を賭け、勝ったの、負けたのとハシャイでいるのを見かけます。いちいち逮捕などされていません。

パチンコだって、競輪・競馬・競艇だって、オートレースだって、ギャンブルです。宝クジも。みんなお金を賭けています。多くの人々はギャンブルが好きなのです。


私自身はギャンブルに関心も興味も持ったこともなく、過去パチンコを二〜三度、ラスベガス、マカオのカジノでそれぞれ二万円ずつ賭けてみましたが、30分もしないで無くなり、さっさと部屋へ帰りました。

しかし、ギャンブル好きを軽蔑したことなどありません。家族や他人に迷惑をかけないでストレス解消できるのであれば、それでよし。「社会通念」なるものに偽善がつきものです。偽善社会が大きく前面に出てくると、必ずその反動が世の中に現れます。


ピューリタニズムに支配された時代のアメリカは、その後反動で麻薬、暴力、セックス、家庭の崩壊が著しかったのです。1960年代が最も激しかったと記憶しています。現代日本の混乱は、ヒューマニズムとポピリュニズムが支配している偽善が横行しているからなのです。

子供はもっと外で遊ぶこと。喧嘩でも取っ組み合いでもよし。冒険すること。危険と向き合うこと。時に体罰もよし。

学生は卒業条件として最低半年間、自衛隊に体験入隊するか、海外青年協力隊に参加して海外の事情をつぶさにその目で確かめ、日本の素晴らしさを肌で感じること。そして被災地で人々のため奉仕活動に参加すること。

「死」を意識しなければ生きている意味や感謝など判る訳がないのです。


合掌 かむながらありがとうございます

菅家 一比古

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posted by 事務局 at 15:19| Comment(0) | 言霊の華